工房の日々
山陰染織の旅2日目
二日目。
雨の予報でしたが、この日も車から降りた途端雨が止みとうとう傘の出番はありませんでした。
3人の晴れ女揃いですから雨は近寄れなかったのでしょう
先ずは、境港のその先、美保神社にお参りするところからスタート。ここは全国3000以上あるえびす様の総本宮。
神の領域は、空気が違います。
呼吸をする度に心身が清められていく感じでとても心地よかったです。
神無月に全国の神様が出雲に集まるとき、えびす様だけはその地に留まって神様の留守を守られるそうです。
ありがたや、えびす様。
鳥居の手前から奥に伸びる青石畳通り。
かつて北前船寄港の門前町として栄えたころ。
その名の通り、敷き詰められた石畳が雨に濡れ、青く光る郷愁を誘う道でした。
ちょうどお昼で境港のお魚料理。
捕れたての生マグロがたっぷり。
ここで時間調整をして、島根県米子市に向かいました。
染織作家 村穂久美雄御大(96歳)の元へ。
山陰の民芸の生き字引のような方です。
民芸運動を起こした柳宗悦らが山陰地方の民芸を訪ねた折り、感銘を受けて、以来、島根の広瀬絣や筒描きを収集されています。
それらを拝見するのが目的でした。
どれも素晴らしいの一言。
ご案内頂いた学芸員の方が、今後どうやって分類していいか見当がつかないくらいの量ですと話してありました。
村穂久美雄御大は国語の先生をしてあったそうで、お話が上手。
96歳の語り口とは思えないほどの滑らかさでした。
山陰の民芸染織の成り立ちを年代を追って詳しく話してくださいました。
最終日に訪ねた木綿街道の成り立ちも、ここで詳しいお話を聞いていたのでよく理解できました。
あれこれ拝見しているうちに見つけた刺し子は奥様が刺されたものでした。
学芸員さんも初めて見たらしくて、皆で見入りました。
自家用に使うものとして作られたようです。
着物幅を3枚繋いだ夜具サイズ。
他にもたくさん残されていました。御大が織られた布に刺し子。
世に出ることもなく、日々の暮らしの中で使われる布はどれも美しく、まさに民芸です。
最近奥様を亡くされたそうで、これらの刺し子は未使用のままでした。
それを見つめる御大の目に寂しさが滲んでいました。
旅を終えた今、御大の一つ一つの言葉の意味の深さが身に沁みます。
まだ話し足りないくらいの御大にお別れをして、夕暮れの中を宿に向かいました。
夕飯は島根牛、境港に揚がった海鮮、そして地酒、、どれも美味しくて酔いしれました。
3日目に続きます。